【インタビュー】上原ひろみさん/世界で活躍中のジャズ・ピアニスト

© Muga Miyahara
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一番自分が「生きている」と思える場所、それがライブ。

世界で活躍する日本人ジャズ・ピアニストの上原ひろみ。その稀有な音楽性とテクニック、時に跳ねるようにピアノを弾きながら、体全体を使って自分の音を表現する姿は、世界中のファンを魅了してやまない。メルボルン国際ジャズ・フェスティバルでの公演を前に、海外で生きること、人生の全てをかけた音楽への想いを彼女に伺った。取材・文=大木和香

演奏を待つ人の元へ、旅する

――4年前のメルボルン初公演ではトリオ、ソロ・ライブともに総立ちで終わりましたね。「絶対にメルボルンに帰ってきます」とおっしゃっていましたが、今のお気持ちは?

「もう、4年も経ったのか」という気持ちです。「オーストラリアでブーメランをもらうと、絶対帰ってくるという言い伝えがある」と前回、フェスティバルの関係者からブーメランを頂いて帰りました。それを大切にピアノの部屋に飾っていたので、戻って来ることができて良かったです。

――今回のオーストラリア滞在で楽しみにしていることはありますか?

シドニーは初公演なので楽しみです。ライブ以外の楽しみはラーメン屋さんです。「シドニー・ラーメン戦争、勃発!」という日豪プレスの特集も読みましたよ。いろいろと調べて、必ずおいしい一軒に行きたいです。

――1年の半分はツアーというスケジュールをデビュー以来、十数年こなしています。上原さんにとってライブとは何ですか?

ライブは本当に、一番自分が「生きている」と思える場所で、情熱を感じられる瞬間です。世界を回っていていいなと思うのは、一生ルーキーでいられることです。人の記憶は風化して、ずっと1つの国でやっていかない限り、長い間覚えていてもらうのは難しい。毎年公演に行き、皆さんに「Welcome Back」と迎えてもらえる街もあれば、その翌日に、私の演奏を聞いたことがない人びとが居る場所に行く。これが世界ツアーをする醍醐味で、いつもフレッシュな気分でいられます。

「スパーク」から物語が始まる

――今回のアルバム「SPARK」を作るインスピレーションになったものは何ですか?

「瞬間」みたいなものを「スパーク」と表現していて、全てはそこから始まると思うんです。それが仕事に対してであれ、物であれ、人であれ、その1つの「きらめき」みたいなものから始まる物語を書きたいと思って作りました。

――「The Trio Project」としては6年目、ベーシスト、ドラマー共に世界最高峰の素晴らしいプレーヤーとトリオを組んだきっかけは?

ベースのアンソニー・ジャクソンは私のデビューと2枚目のアルバムにゲスト参加をしてくれ、元々大好きなベーシストだったので、フルできちんと一緒にアルバムを作りたいと思い、曲を書き出しました。曲を書き進めるうちに欲しいドラムの音がだんだんと明確になり、サイモン・フィリップスに声をかけて、トリオとしての1枚目を作りました。それが楽しかったので、以来ずっと続いています。

――音楽的な変化はありましたか?

やればやるほど、どんどん「阿吽(あうん)の呼吸」になります。お互いを音楽で驚かせたいし、安定ではなく「どうなるか分からないもの」を追求したいので、いつも何かお互いに仕掛けていける良い関係だと思っています。

「怖いもの知らず」でいつも全力疾走

――6歳からピアノを始めたそうですが、幼少時代のピアノにまつわるエピソードを教えてください。

特に天才少女的なことはなくて、母が心の発育のためにと、お稽古事として習わせられたのがきっかけで始めました。ピアノに限らず、「泳ぎ方を知らずにプールに飛び込むタイプ」の怖いもの知らずの子どもでした。発表会では緊張したことがなく、人前で演奏することがとにかく楽しくて。それが今の仕事につながっていると思います。

――8歳でジャズと出合ったそうですね。小学校2、3年で同級生がアニメ・ソングを歌っているような中、ジャズの何に惹かれたのでしょう?

ピアノの先生がジャズ好きな人でした。聞いたことがないリズムだったんです。体が揺れてくるというか、それが「スイング」だとは後で知ったのですが。それらが全て即興演奏だと教わり、「自分のその時の感情をそのまま音で表現できるのって素敵で、なんだか楽しそう!と惹かれました。

――学生時代を含め、米国には17年住んでいらっしゃいますね。「日本人が本場アメリカでジャズをやる」という極めてアウェイな状況は苦労も多かったのでは。

駆け出しの頃の苦労と、10年経った今のそれはまた違いますが、1番大変なのは「1つ1つをきちんとやって、それを続けていく」ことです。最初にアメリカのレコード会社と契約した時、「Asian, Female, Instrumentalist」この3つの要素はマーケット的に全くウェルカムではないと言われました。でも、それは変えられないですよね。ボーカルの方がマーケットは広いので、「歌えるか?」と聞かれても、私には歌の才能はないし、日本人女性であることも変えられません。「とにかく自分ができることに全力を尽くす」以外なく、それをこれまで1本1本やってきた感じです。

――人生で成し遂げたいことは何ですか?

「ずっとこれを続けていくこと」です。積み重ねていく以外にはないと思います。行ったことのない街で演奏し、行ったことがある街でも、またファンの人に待っていてもらえる演奏を常にしていくことです。飛行機に乗ってこれだけ旅をしても、まだまだ行ったことのない国や街があり、会ったことがない人はいくらでもいて、世界は「広いな」と思う時もあれば、逆に「小さく」思える瞬間もあります。政治的に互いに国交がない国に立て続けに行き、曲の同じパートでお客さんが似た反応をした時などは、音楽を通して世界を近くに感じます。その感覚の「振れ幅」に驚かされます。

自分が「譲れないもの」を伝える

――海外で夢に挑戦する日本人にメッセージをお願いします。

自分が生まれ育った国ではない場所では、「自分の培ってきたもの」や、「良いとされていたことで、こうしなさいと習ってきた倫理観」など全く通じない世界です。その中でビジネスをやっていくのは、びっくりするようなことも多いですね。例えば、海外に出るまでは日本の「悪くないけど、とりあえず謝る」ということが「いけないこと」だとは知らなかったですから(笑)。海外ではとりあえず謝っていると何も進みませんが、日本ではとりあえず謝らないと傲慢な人になってしまいますしね。

相手の文化をリスペクトしながら、「郷に入れば郷に従え」で合わせていると、逆に自分の「これだけは絶対に譲れないもの」がはっきり見えてきます。私の場合は「音楽・ステージを絶対に全うさせる」というのが1番で、それ以外のことは「何でも譲るから」という気持ちです(笑)。でも、それがうまくいかなくなりそうな時には、けんか腰の気持ちでやりあって守り通します。

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日本人が米ビルボードの部門チャートで1位に輝く異例の快挙となった、「ザ・トリオ・プロジェクト」の4枚目のアルバム「SPARK」

「世界に出たら、きちんと自分の主張をすること」。相手は察してはくれません。日本人は「相手の気持ちを察する」、「空気を読む」文化がありますが、そういうのがない国ではちゃんと言わなきゃいけない。「相手が気持ちを察してくれないから、自己主張するのか!」と海外に出てやっと分かるようになりました。きっと、皆さんもそういう中でお仕事や勉強をしてらっしゃると思います。大和撫子は「自分の真の強さを察してもらえないのなら、自ら伝える!」ぐらいの気持ちで共に頑張りましょう。

アルバムの1曲目「SPARK」から始まったメルボルン公演は、総立ちの拍手に送られて終わった。インタビューの時、自分の言葉を選びながら答えてくれた繊細な声や姿からは想像できないほど、パワフルで圧倒的なステージ。そこには、音楽に対して決してぶれない情熱、「世界で生き抜く大和撫子」の強さがあった。彼女こそが「スパーク」であり、それを待つ観客のために、今日も彼女は世界のどこかを旅している。再びオーストラリアに戻る日を心待ちにしたい。


■上原ひろみ:プロフィル
1979年静岡県浜松市生まれ。6歳よりピアノと作曲を始め、99年にボストン・バークリー音楽院入学。学中にジャズの名門テラーク・レーベルと契約し、2003年にアルバム「Another Mind」で世界デビューを果たす。08年にはチック・コリアとのアルバム『Duet』を発表。スタンリー・クラークとの共演アルバムが第53回グラミー賞において「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム」賞を受賞するなど、受賞歴多数。10年に結成した「上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト」として、16年2月には4枚目となるアルバム「SPARK」をリリース。米ビルボード・チャートの週間ジャズ・アルバム部門で初登場1位を獲得した。
Web: www.hiromiuehara.com

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