【追悼・再掲載】独占特別インタビュー樹木希林さん

独占インタビュー樹木希林さん Ⓒ東海テレビ放送
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「服を来た樹木希林は死ねばそれで終わりですが生命というものはずっと続きます」

2014年某日、日豪プレス編集部に日本から国際電話がかかってくる。「樹木希林ですが馬場編集長いらっしゃる?」。……当時、日豪プレスでは年に2回、坂井健二・発行人(当時)による著名人インタビュー記事を掲載していた。過去には吉永小百合さん、岸惠子さん、瀬戸内寂聴さん、三輪明宏さんなど多くの方のインタビューを掲載させていただいたが、当時、編集部でインタビューを打診をしていたのが女優の樹木希林さんであった。彼女は事務所に所属しておらずインタビューの打診にも苦心したが、ある伝手からお声がけさせていただくことができた。その後、いきなりの私宛の名指しの電話である。さすがに面食らうと共に、いや、樹木さんらしいなと妙に納得したことを思い出す。

本記事は、このような顛末から始まった元発行人の坂井健二氏によるインタビュー記事だ。坂井氏が実際に日本で収録したものとなるが、坂井氏にとっても本稿は日豪プレス発行人を退く前の最後のインタビュー記事となった。樹木さん没後、ウェブ上に掲載されている本記事のアクセスは急上昇し、日豪プレスウェブ版のランキング・トップとなった。全身ガン告白後ということもあり、記事も命というものに触れた内容となっている。4年前のインタビューではあってもその言葉は色あせず、改めて日の目を浴びて欲しいと思い、追悼の意も込めて2014年5月号掲載のインタビュー記事を再掲載させていただくことにした。再掲載ということで内容は2014年当時のままという点のみあらかじめご了承いただければ幸いだ。

(日豪プレス編集長/馬場一哉)


日本映画界の宝のような存在である女優の樹木希林さん。2013年の日本アカデミー賞で『わが母の記』の演技で主演女優賞を受賞された。その受賞スピーチで全身ガンであることを告白し、人々にショックを与えた。渋谷のご自宅でインタビューの時間を頂いたので、これまでの女優としての道なり、ご病気のこと、そして最新作である『神宮希林 わたしの神様』について話を伺った。(取材・文=坂井健二)

森繁久彌によって女優開眼

実は5年前に、『おくりびと』で見事オスカーに輝いたモッくんこと本木雅弘氏(樹木さんの娘さんと結婚されている)にもインタビューをさせていただいたことを告げ、「親子でインタビューをいただけることになり、とても光栄に思っています」と告げると、「とんでもない。こちらこそ光栄です」と頭を下げられ恐縮する。まず、日本映画にとってひさびさの快挙となったオスカー受賞について聞いてみた。

「あれは最初9本がノミネートされ、それから5本になり、本番で受賞作が発表されるんですが、最初9本に入った時、次の5本に入れば良いなと思っていたら、それに入ったので上出来、上出来と私は思い、主人の内田(内田裕也氏)も『すごい、オモシレー、よくやった』と喜んでいたんですが、本番で『DEPARTURE』と発表された時、内田からすぐ電話がかかってきて興奮して知らせてくれました。私は本番は見てなかったんですよ。WOWWOWチャンネルを入れてないですから(笑)」

樹木さんは、内田氏とは今は一緒に住んでおらず、本木夫妻と同じ敷地で2所帯として住んでいる。

インタビューが決まり、すぐ前述の『わが母の記』のDVDを求め、樹木さんの圧倒的な演技に驚嘆する。これは昭和の大文豪・井上靖の自伝的小説を基にしたもので、子どものころ両親と離れて育てられたことから、母に捨てられたという思いを抱きながら生きてきた作家と、認知症になっていく母親との葛藤を描いたもの。作家役の役所広司やその娘役の宮崎あおいの好演も加わり、心に残る秀作となった。監督は原田真人。この映画で内容とは関係ないのだが、ぜひ聞きたいと思ったことが1つあった。映画の中で、おばあちゃん(樹木希林さん)が入れ歯を外してるというシーンがあるのだが、その時、樹木さんの口元が本当に入れ歯を外したような感じでびっくりしてしまった。演技派はこういうこともできるんだと感心した。

『わが母の記』の樹木さんの演技に圧倒される
『わが母の記』の樹木さんの演技に圧倒される

「(笑)あらあら。普通女優さんは実際の現状を世の中に知られるのを嫌がるんですけど、もう70歳を過ぎていますので、部分入れ歯を使ってるんです。せっかく歯医者で作ってもらったんだから、これは使わなきゃ損だと思って(爆笑)」

失礼しました。この役は今では樹木さん以外には考えられないが、監督が最初に希望した女優は樹木さんではなかった。

「私の役は、作家を育てるおばあちゃんで出番も少なかったんですよ。最初にオファーが行ったのは今はお亡くなりになっていますが、高峰秀子さんでした。交渉がうまくいかず、それであの役を私に振られたんです。監督は高峰さんのイメージとこの役を重ねていたと思いますので、とても気の毒でした(笑)。脚本を読んだ時、これで映画として成立するのかなと思ったんですけどね」

樹木さんの演技で特に素晴らしいのが最後の海辺のシーン。完全に認知症となったおばあちゃんが息子を探して海辺にたどり着き、それを追ってきた息子の背中におんぶされる。息子の背中で最初嫌がっていたが、徐々に表情が和らぎ、最後は菩薩のような微笑で終わる。

「息子の背中におぶさって、ようやくずっと探していた息子を見つけたという実感を持ったというプロセスで演じました」

そう語ったが、うまく説明できないのだが演技を超えて心に届く何かが、樹木さんの表情からあふれていた。

文学座への入団が俳優としての第一歩になったが、俳優や演技することに興味があったわけではないそうだ。

「薬剤師になるつもりが挫折し、スネかじりで居られたので、ある日、戦後初めて研究生を文学座が募集という新聞記事を見てふっと応募したんですよ。新劇は合わなかったです。1字1字間違えずにセリフをしゃべらなきゃならないんですが、何か生きていない。最も通行人A、Bとか、大した役はつかなかったんですけど(笑)」

樹木さんが一躍知られるようになったのは、テレビの『寺内貫太郎一家』。おばあちゃんの役で(当時30になったばかりで芸名は悠木千帆。オークションで売るものがなかったので、芸名を売ったのは有名な話だ。以降樹木希林)。ジュリーの大きなポスターの前で「ジュリー!」と叫びながら腰を振り身悶えするシーンは大きな話題を呼んだ。ピップ・エレキバンや現在も続いている富士フィルムのCMでも大いに受けた。

「私が演技に開眼したのは、テレビの『七人の孫』で森繁久彌さんと出会ったことによってですね。森繁さんは人に教えるというタイプではないのですが、台本通りではないセリフが全て生きている。私はもちろん、向田邦子さんも久世光彦さんにも大きく育ててもらったと思います」

樹木さんの女優としての道のりを見て異色なのは、助演からスタートして熟年に入って主演女優としても活躍しているところ(2008年の日本アカデミー賞でも『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で主演女優賞を受賞している)。

「そう言われてみるとそうだけど、主演をやりたいわけではなく助演で良いの。主演でも助演でも私の場合はギャラが一緒だし、セリフは少ない方が良いの(笑)。セリフが多いと割りゼリフにして監督に了解を取って皆にあげちゃう(笑)」

現在の日本映画は漫画やゲームの映画化ばっかりでつまらないという批判があるが、樹木さんは違った意見を持っている。

「いろいろなものがあって良いのよ。その中から自然淘汰されて残ったものが、次の世代につながっていきます。今人気のある若手俳優も皆キラキラしたものを持って魅力があります。後はそれをどこに置くのかというのが重要だと思いますが、キャスティング・プロデューサーというのは日本ではあまり重きを置かれていませんが、とても大切だと思いますね」

女優である意味とその醍醐味は?

「女優は2番手のものと思っています。女優をやるための人間をやっているわけではない。先に人間がいて、次に女優というものがくる。醍醐味?そこまで行かないですね。それを理解する前に『これにてご無礼』ということになるんじゃないかな(笑)」

全身ガン告白で大波紋

「皆さん私がガンを患っているのをご存知ですので(最初は10年前に乳ガンが発覚)、お医者さんから私のガンは全身ガンですと教えてもらったので、それをたまたまああいうカタチでお伝えしただけなんですよ。お騒がせしました(笑)。全身ガンという名称から身体中がガンだらけだと想像されるんでしょうが違うんです。ピンポイントの治療方法がよく効いて、体に影響する大きなガンは消えている状態です。小さいのはまだあると思うし、いつまた大きくなるのかは分かりませんが、今は普通の生活をしています。一応調子は良いんですが、でも不養生しているとどこかに出るんです。でも昨晩ワインを1本空けちゃいましたけどね(笑)。ガンになって死ぬのが一番幸せだと思います。畳の上で死ねるし、用意ができます。片付けしてその準備ができるのは最高だと思っています。内田に言われました。『全身ガンで明日にでも死ぬのかと思っていたら、やたら元気でいろいろなところに顔を出すので、あれはガンガン詐欺(笑)だと思われているよ』って」

実はインタビューの日の2日前、ホテルの地下のショッピング・センターで、偶然向こうから歩いてくる内田裕也氏を見かけるという奇遇があった。綺麗な白髪のロン毛で杖をついて歩いていたが、強面のオーラをあたりにまき散らしていた。

そのことを告げ、内田氏との関わりを聞いてみた。

「私のような世の中に恐いものがないように見える人間が、ここまで芸能界で抹殺されずにやってこられたというのは、内田さんのような“頭を叩く”存在があったからだと思いますね。それは壮絶な喧嘩でした。DVが大変でしたがこちらも負けずにやり返すので大げんかの後の片付けが大変(笑)。よく夫殺しとか妻殺しのニュースが流れますが、実感できますよ。憎しみの極地というか……」

そこまで行き着きながら離婚を拒否したのは、それを上回る大きな愛ですかと聞いてみた。

「愛というより、私には内田さんが必要だったということですね。ただ向こうは迷惑だっただろうなというのはよく分かる。今は『どうもありがとうね。大変だったわね』と言うと、『そんなことネェー』と言いますがね(笑)。来世で出会わないために、今完璧に付き合っているのよ(笑)」

Ⓒ東海テレビ放送
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新作『神宮希林 わたしの神様』

東海テレビの『神宮希林』という番組で、樹木さんは伊勢神宮の式年遷宮の取材をしている。それを再編集し、ドキュメンタリー映画にしたのが最新作『神宮希林 わたしの神様』だ。

「伊勢神宮取材はとても心に残っています。ただテレビの番組ではお伝えできることに限界があるので、私の自宅での日常や、偶然出会った人たちとの交流なども入れ、通常の遷宮をテーマにしたフィルムとは毛色が違ったものが、映画になったと思っています」

伊勢神宮の遷宮をテーマに、それに関わる儀式や人たちを尋ね、神や仏や祈るということを、時間をかけて追っているが、樹木さんの案内役による画面はゆったりと暖かい時間が流れて行く。個人的に最も感動したのは、被災地の宮城県石巻市にも足を運び、津波で残ったものを奉り小さな神宮を完成させ人びとが祈るシーンで、「こんな過酷な経験をしてでも祈るという人間のいじらしさを感じますね」という樹木さんコメントが心に響く。それと歌人の岡野弘彦氏が伊勢神宮への想いを語るのも興味深い。

「岡野先生のご実家は神社で、20年前の遷宮の時には、大事な役を務められました。戦後、前線で心を穢してしまった若者に何か啓示を与えてくれるかと思い、御正宮の前に長い間座っておられたそうです。でもその時は何も教えてもらえず、何も起きなかった。それから熊野本宮まで旅して秋祭りのご馳走を振る舞われ、住人たちの優しい心に触れてご自分の心も穏やかになってきた。その後、折口信夫のお弟子さんになって和歌の世界に生きるすべを見つけられた方です」

最後に人間の命と、日本人の宗教観について尋ねてみた。

終始、明るく笑顔でインタビューに答えてくれた(当時※編注)
終始、明るく笑顔でインタビューに答えてくれた(当時※編注)

「生命は永遠のものだと思っています。現在、このように服を着た樹木希林は死ねばそれで終わりですが、生命というものはずっと続き、またいろいろなきっかけや縁があれば、次は山田太郎という人間として現れるかもしれない。日本は八百万の国なので幸せです。無宗教さえも1つの平和な状況で幸せです。この神が絶対というのも幸せかもしれないですが、それによって争いという不幸が出てくる。日本はそういう意味で、争いはない。宗教に関してとても幸せでそれは非常に良いことだと思っています」

なお、「生きることに疲れたら、どうぞ眠りに来てください」というキャッチ・フレーズのこの映画は、4月26日から都内のミニ・シアターで上映され、順次各都市で公開される。

ファンとして樹木希林さんにお願いしたいことはただ1つ。今後養生されて(たまにならワイン1本を空けるのは構いません(笑))、これからもずっとお元気で、助演でも主演でも良いですから映画に関わっていただき、近年では稀な映画を見て感動するという経験をさせ続けてください。

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