畠中高峰さんと及川かおりさん

及川さおりさん
及川さおりさん

畠中高峰さんと及川かおりさん
ブエノスアイレス
日系移民のための活動に従事
Text by Kenji Sakai
 南アメリカ南部に位置する連邦共和制国家アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、当地に暮らす日系移民のために活動に従事する日本人ボランティア2人に話を聞いた。
 2001年に経済破綻(インフレが続いた80年代後、1991年に1米ドル=1アルゼンチン・ペソ<カレンシー・ボード制>とする固定相場制を取り、海外からの投資を急成長させたものの、隣国ブラジルなどの経済危機のあおりを受け破綻を招いたもの)したが、予断を許さないながらも、現在は緩やかな回復の道をたどっている国、アルゼンチン。
 その首都ブエノスアイレスの空港に着いたのは深夜。旅行エージェントの配慮で、ホテルまでドライバーとアテンドを手配してくれたのだが、待っていたアテンドの女性に会ってショックを受けた。70代後半と思しきおばあちゃん(失礼)だったのだ(後で何と85歳だと分かった)。
 しかし、この高齢の女性はかくしゃくとしており、雄弁かつインテリジェントな女性であることを車中で認識させられた。
 彼女いわく、教師としての仕事を勤め上げた後、ゆうゆうとしたリタイヤ生活をエンジョイしていたが、経済破綻がすべてを変えた。高齢にもかかわらず、仕事をして生活費を稼がなければならないのだと言う。経済破綻は、こういう風に影響しているんだと大きなため息が出た。
 ただし、今回取材させてもらった畠中高峰さんと及川さおりさんにそのエピソードを話し、その女性がこのホテル(取材は宿泊先のホテルで)の近くにアパートを持っていると言っていたことを告げると、2人ともちょっと笑って、この辺は超高級住宅地で、このエリアでアパートを持っているということは、絶対に生活困窮者ではないとのこと。たぶん事実は、エリート階層に属していたこの女性は、経済破綻の影響を受け、それまでの生活水準をキープするために仕事を再開しなければならなかった、ということなのかもしれない。

ブエノスアイレスの中心にある、世界で最も道幅が広い大通り。中央に見えるのはオベリスコ
ブエノスアイレスの中心にある、世界で最も道幅が広い大通り。中央に見えるのはオベリスコ

及川さおりさんの場合
 岩手県出身の及川さんは36歳。日本での生け花や日本舞踊などの習い事を、ボランティア・ワークに役立てている。
 会社勤めをしていた29歳の時、ブラジルとアルゼンチンへの岩手からの視察団(岩手出身の移民者への表敬訪問のようなもの)の1人として参加したことが、彼女の大きな転機となる。
 その時に出会った1人の男性の老人が、日系移民としてすさまじい苦労をしてきたはずなのに(過酷な労働で指を失くしていた)、きっぱりと「今はとても幸せだ」と言い切った。及川さんは、幸せの概念について開眼させられたと言う。
 日系移民に対して大きな関心を抱くようになった及川さんは、海外の日系社会で自分のできることを模索。そしてJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊を通じたボランティア活動へと繋がる。
 まずブラジルで2年間、ボランティア・ワークに励んだ。小さな子どもたちに、習字や舞踊といった日本文化を教えるためのコーディネートをした。その後ブラジルから岩手に帰ると、海外に暮らす日系人が仕事を求めて来日するという、出稼ぎ労働者ブームだった。その多くが子ども連れだったが、子どもたちは日本語を話せない。及川さんはそんな子どもたちに日本語を教えるためのボランティアに熱中した。そして、海外でのさらなる活動の場をJICAに求めたところ、アルゼンチンに適職を見つけ、ブエノスアイレス行きを決めた。
「移住者の孫、つまり日系3世の幼児に着物を着せ、踊りを教えるのですが、その子どもよりもおばあちゃまが涙を流して喜んでくれるんです。日本への郷愁をかき立てられるのでしょうね。とても嬉しかったです」と及川さん。
 アルゼンチンに対しては、「貧富の差はもちろんありますが、貧しい人でも悲壮感が全くない。ポジティブな国民性」と見ている。
 来年には日本に帰る予定だが、日本では法律の勉強をし、海外から出稼ぎでやって来る日系移民が日本でトラブルに巻き込まれた時に、法的観点から援助の手を差しのべたいという、具体的なプランが既にでき上がっている。「ボランティアは私にとって、自己発見の場であり、必要なもの。生活の一部としてなら、これからもずっと関わっていけます。これまでの経験がボランティアに役立ち、そのボランティアの経験が私の人生に役立つ。持ちつ持たれつという関係でしょうか」と、ボランティア活動に対する距離感もしっかりと自覚している。
「もう年ですから、両親はお嫁にも行かないで…と心配しています。もちろん私も人並みに結婚したいと思ってるんですよ」と、屈託のない笑顔を見せてくれたのも印象的だった。

畠山高峰さん
畠山高峰さん

畠山高峰さんの場合
 畠山さんも、及川さんと同じく36歳。北海道出身。東京で社会福祉事業団(特別養護老人ホーム)で働いた後、ブエノスアイレスに来た。
 ここでも日系高齢者向け福祉のボランティア活動をしているが、実は本筋ではなく、高齢者福祉は最初から興味があった分野ではないという。畠山さんが大学で専門としたのは、社会福祉の中でも幼児を対象としたもの。「大学卒業後、職探しに奔走しましたが、幼児関係は少なく、高齢者関係が多く、たまたまそこの仕事を得たというのが本当です」と、淡々と語る。
 9年間、高齢者の養護に従事した。最初から大変な仕事だと分かっていたので、できないと分かったらすぐ辞めようと思っていたというが、「今振り返ると、9年も続いたわけで、自分に合っていた仕事なのだと思います」と肯く。
 ただし、仕事内容とは別に、9年も勤めていると組織の中で動くことについて葛藤が出てくるものだ。それが、海外へ出てみようという意欲をかり立てた。いとこがJICAでのボランティア経験者だったことから、自分の職を生かせる所はどこかという観点でJICAに問い合わせ、現在の場所を見つけたという。
 畠山さんの主な活動は、高齢者に介護予防というものを説き、そして実践すること。健康を維持して、介護が必要になる状況の発生を予防していくというポリシーだが、抽象的すぎるのか、すぐには理解してもらえなくて苦労するという。
 日系人老人ホームは、民間経営と日本政府の補助を受けるものの2つあるが、どちらも手足の動かない高齢者をケアするだけの設備がない。そういう老人は家族がケアすることになる。ただ、いわゆる昔の「家族制度」が健在なアルゼンチンの日系社会では、それは当たり前という風潮がある。そのため暗い感じはなく、日本のように社会問題にはなっていないらしい。
 アルゼンチンには老人ホームは多いが、毎月平均的なサラリーマンの給料ほどの費用が必要で、ほとんどがエリート用。よって家族が高齢者をケアするというのが常識なのだそうだ。
 アルゼンチンの人に関して、「貧しい人でも決して後向きではなく、いい意味でプライドを持っています。ホームレスも多いですが、彼れらは堂々と物乞いしてますよ」とのこと。
「介護という意味の言葉がスペイン語にはなく、私の活動を説明してもすぐには分かってくれない。ただ説明し1度経験すると、ああこれは役に立つと喜んでくれる。そんな時に充実した気持ちになります」と、てらいなく語る。
「ボランティアとはという質問はJICAの面接の時にも聞かれましたが、「自己啓発の大きなチャンスだと思います。まず自分のためにやり、それがほかの人に役立てばとても嬉しいという気持ちですね」と畠山さん。来年日本へ帰る予定だが、元の職場に帰ることが決まっている。「こちらで学んだゆとりを日本の組織の中で生かせればと思っています。それと、送り出してくれ、今度はまた迎えてくれる職場に感謝します」。そして付け加えるように「これ決してゴマすりじゃないですよ」と笑った。
 随時連載だが、この「世界の日本人ボランティア」も6年目を迎えた。いつもそうだったが、海外でボランティア・ワークをしようとする志の高い人との会話は、私にとって元気をもらえる場。及川さんと畠中さんとの時間も例外ではなかった。
(本紙・坂井健二)

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