皇太子同妃両陛下をおもてなし

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~

其の拾参:皇太子同妃両陛下をおもてなし

1973年、日本から当時の皇太子同妃両殿下(現在の天皇両陛下)が国際親善のためにオーストラリア、ニュージーランドを訪問されることになりました。当時は、日本からオーストラリアへの直行便はなく、皇室訪豪に向けて日本航空が特別機を飛ばしました。

皇太子同妃両陛下がシドニーを訪問されるとあり、皇室訪豪に向け、関係者は最高のおもてなしと、日本と豪州の国際親善がスムーズに執り行われるように細心の注意が払われていました。

その際、幸運にも、シドニーで料理の一部を任せていただけるという話を頂きました。これも1つのご縁でした。オーストラリアに来る前に、サンフランシスコにしばらく住んでいたのですが、その時に滞在していた家のシェアメイトの1人が、日本航空の常務の息子さんだったのです。日本からバークレー大学に留学しており、既にアメリカ生活を長く過ごしており、経験豊かな方でした。そして私の変わったバックグラウンドにも興味を持ってくれました。

多くの日系人が戦後、アメリカでの生活に同化していくことの必要性を強く意識しており、同等の立ち位置に立って意見を語ることのできる力を備えた方でした。同時に、日本人としての誇りも大事だという点で、お互いに共鳴し合いました。考えてみると、これまでに出会った人の中でも、今でもはっきりと思い出せる人物の1人です。

話は少し逸れるのですが、私たちが間借りしていた家は、戦後サンフランシスコのジャパニーズ・ガーデンの再建に大きく関わられたジャッキー・ヒロセさんのお母さんがオーナーでした。当時、アメリカでは、既に多くの日系人が、アメリカでの日系人の地位を取り戻すために頑張っていました。その1人がジャッキー・ヒロセさんでした。

話を元に戻しましょう。私のサンフランシスコでのシェアメイトの名前を、レストランに来ていた日本航空の方に話したところ、偶然にも彼のことを知っていました。そしてその後、話が弾み、とんとん拍子に皇室訪豪においてのおもてなしに際しての料理をお願いされることになったのです。

親善訪問の歓迎に適したお祝いの日本料理の素材として、タイ、伊勢エビ、ハマグリなどがよく使われますが、当時は、甲殻類はほとんどシドニーではなく、それらの食材の調達は難しく、また、フィッシュマーケットにも生きの良い鯛がなかったので、現在もダーリングハーストにある「ブルー・エンジェル」というロブスターで有名なレストランの先代からロブスターを購入しました。そしてそのロブスターを使った台ものを披露させて頂きました。

大根も良いものがなく、思ったようなつまを準備できず、歯がゆい思いをしたり、また料理に使う器などの調達も難しく、大変苦労したことを覚えています。しかし、包丁の冴えと、盛り付けの工夫で何とか、おもてなしを成功させることができました。

私の実家の「美寸志」は、祖父から父の代まで宮内庁へご用達の店としてお勤めしていました。そういった背景もあり、まだオーストラリアで仕事を本格的に始めていないにもかかわらず、日本の皇室への初仕事を頂き感無量でした。誇らしく、感激しながら実家に報告した時の情景が今でもはっきりと蘇ります。

その後、何年か経った後、昭和天皇第五皇女の島津貴子さんご夫妻がシドニーに駐在されていたころ、会食のケータリングを通じて料理人としてお付き合いさせて頂いたことがあります。気さくな方で、場を盛り上げるセンスとユーモアをお持ちで、料理に関して面白いコメントと質問を受けたのを覚えています。

このように幸先が良いなと鷹をくくっていたのですが、人生は波乱万丈。自分ではどうしようもないことがこの後、いろいろと起こります。


出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使

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