新・豪リークス/「公立小学校で児童が落語体験その驚きの教育法とは?」

現在TBSのシドニー通信員を務める筆者が、オーストラリアの“ホット”な話題を独自の視点で分析する。あっと驚く“裏情報”や“暴露(リーク)情報”も!?

第23回 「公立小学校で児童が落語体験その驚きの教育法とは?」

ブリスベン郊外の公立小学校に、落語家の立川こしら師匠が訪問し、児童に落語を指導した。ほとんどが初めての体験にもかかわらず、日本語で落語を楽しんだ小学生たち。その背景には、この学校で行われている驚きの教育方法があった。

◇こしら師匠が日本語で落語指導

児童の前で落語を披露する立川こしら師匠(6月8日ブリスベン郊外ウェラーズ・ヒル小学校、筆者撮影)
児童の前で落語を披露する立川こしら師匠(6月8日ブリスベン郊外ウェラーズ・ヒル小学校、筆者撮影)

「この中で落語知ってる人ー!」

約250人の子どもたちの前で、立川流真打の落語家・立川こしらさんが、よく通る大きな声で問い掛けると、ほぼ全員が「ハーイ!」と日本語で返事をした。

場所は、ブリスベン郊外にあるウェラーズ・ヒル小学校。公立のこの学校に通っているのは、日本語のバックグラウンドのないアングロ・サクソン系の子どもたちが大半で、日本人はもちろん中国や韓国といったアジア系もほとんどいない。

シドニー、メルボルン、パースなどオーストラリア各都市で開かれた独演会などの合間に、この学校を訪れた立川こしら師匠。体育館の壇上に用意された赤い敷物と座布団の上に座り、深々と頭を下げてあいさつした。必須アイテムである扇子と手拭いを懐から取り出して、落語について説明した後、おもむろに会場の何人かを指名し、壇上に上げた。そして有名な小噺「ネズミ」を児童たちに教え始めた。

師匠:「おい、そこのネズミを捕まえてくれ?」
児童:(ネズミを捕まえて師匠に見せる)
師匠:「なんでぇ、やけに小さいなぁ」
児童:「大きいよ!」
師匠:「いや小さいよ!」
児童:「大きい!」
師匠:「するとネズミがぁ?」
会場の児童:「チュー(中)!」

こしら師匠が大きなジェスチャーを交えて小噺を続けると、会場は大爆笑。その後も次から次へと壇上に上ってくる子どもたちに、さすがに普段は舌鋒鋭いこしら師匠もたじたじ。体育館はまるでコンサート会場のように大騒ぎとなった。

◇全教科の50%を日本語で学ぶ「イマージョン教育」

外国語を学ぶには、その言語にどっぷり浸かるのが早道と言われるが、実はこのウェラーズ・ヒル小学校、「浸透させる」または「没入する」という意味を持つ「イマージョン(immersion)」教育と呼ばれるプログラムを実践している。これは、国語などを除いた教科の授業を母国語ではない言語のみで行うというもので、1960年代のカナダで「フランス語イマージョン」として始まった。その後、有効なバイリンガル教育として注目され、アメリカではスペイン語など10以上の言語、オーストラリアでもビクトリア州の小学校やクイーンズランド州の高校などで「日本語イマージョン教育」が行われている。

2014年に1年生の5クラスでスタートしたウェラーズ・ヒル小学校の「イマージョン・プログラム」は、現在5年生までの19のクラスで、算数、理科、地理など全教科の50%を日本語のみで教えている。当初は2人だけだった日本人教師も10人に増え、今では休み時間でも児童同士が日本語で会話するなど、学校全体に「イマージョン教育」が浸透してきているという。

オーストラリアの公立小学校を訪れるのは、これが初めてだという立川こしら師匠、体育館での「落語ワークショップ」後、児童が学ぶ各クラスにも立ち寄った。2年生のクラスで行われていたのは理科の授業で、先生から「水の大切さ」などについて日本語で聞き、質問にもしっかり答える児童たち。見慣れない訪問者の来訪に、最初はなかなか集中できなかったが、担任の先生が「クラスのルール」と注意すると「静かに見て、聞いて、ちゃんと座って、手を挙げて、日本語で話してください」と、24人の児童全員がすらすらと流暢な日本語で暗唱した。「ここの子どもたちは、みんな積極的で、答えが分からなくても平気で手を挙げます。言語学習に関しては、間違いをすることは1つの大切なプロセスなので習得も早いです」と、クラス担任の揚岩沙弥先生は語った。

校舎を移動し、3年生のクラスに行くと、そろばんの授業中だった。「願いましては、525円なり、51円なり……」とまるで日本のそろばん塾のように先生が唱えると、間髪入れずに「はい!」とほぼ全員が手を挙げ、正しく回答した。

1年生の可愛らしい「キラキラ星」の歌や、5年生のクラスで日本語の長文発表なども聞いたこしら師匠、「低学年では、まだまだ日本語が通じないかなって感じましたが、1年2年と学年が上がって行くうちに、こんなに日本語が身に着くものなんだって、びっくりしました。ここを卒業した子どもたちは末恐ろしいですね。一体どんな大人になるのか今から楽しみです」と笑顔で話してくれた。

◇「イマージョン教育」で母国語の能力も向上?

3年生のクラスでそろばんの授業を受ける児童(筆者撮影)
3年生のクラスでそろばんの授業を受ける児童(筆者撮影)

日本語で算数や理科などの教科を学ぶため、母国語である英語の学習に遅れが出るのでは? といった児童の保護者からの懸念は当然ある。しかし、ジョン・ウェブスター校長は、5年目を迎える「日本語イマージョン教育」の成果に満足している。最近行われたオーストラリアの全国統一学力テスト(NAPLAN)では、在校生のほとんどが全国平均以上の成績だったというのだ。

「日本語と日本の文化を学んだことで、児童の学校内での生活も穏やかになりました。将来子どもたちには、グローバルな視点を持った国際人に育ってもらいたいです」(ウェブスター校長)

この「イマージョン教育」、語学の習得以外のメリットにも期待が寄せられている。アメリカのミシガン州立大学の研究などで、バイリンガル環境で育った子どもの学力が、モノリンガル(単一言語)の子どもよりも高い傾向があるとの研究結果が出ていて、2つ以上の言語を操ることで、脳神経が刺激され、実行機能や運動機能なども向上する可能性があるという。

もちろん個人差はあり、「イマージョン教育」をすれば“全てがバラ色”というわけではない。放課後でも日本語を積極的に使ったり、母国語での勉強もしっかり行わなければ、結局“虻蜂取らず”という結果に陥る危惧もある。

ただ、日本の学校教育で長く英語を“勉強”してきた身としては、言語をまさに“コミュニケーション”として習得する「イマージョン」教育を受けるこの学校の子どもたちをある意味羨ましく感じた。

ウェラーズ・ヒル小学校教務課程主任の田中秀子先生は、親がある程度英語を理解できている日本で「英語イマージョン教育は逆にやり易いのでは?」と語る。

「我が校の児童の親は、日本語の“アイウエオ”さえ全く知らないのですから」(田中先生)

オーストラリアで近年導入された公立学校の独立化制度や児童の親向けに日本語教室を開くなど、保護者を含め学校全体がコミュニティーとして、積極的に関わっている点も、この小学校の試みが順調に行われている背景にある。

こしら師匠の言葉ではないが、まさに“末恐ろしい”偉大な人物が、この学校から生まれてくるかもしれない。


飯島浩樹(いいじま・ひろき)
日本の民放キー局でニュース番組のディレクターなどを経て来豪。ウーロンゴン大学院でジャーナリズム修士号を取得後、TBSのシドニー五輪支局現地代表となる。現在、TBSのシドニー通信員として多くのニュース・リポートを日本に送っている。2017年8月より、FCAオーストラリア・南太平洋海外特派員協会会長を務める。

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