存亡の危機にあるワンネーション党

存亡の危機にあるワンネーション党

ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹

2016年7月2日に実施された両院解散選挙では、ワンネーション党党首のポーリン・ハンソンが20年ぶりに連邦政界に返り咲いたばかりか、同党は合計4人もの連邦上院議員を当選させている。ところが、それからわずか2年ほどが経過しただけにもかかわらず、度重なる「お家騒動」によって離党議員が相次ぎ、同党の議員数も半減してハンソンとジョージオ議員の2人だけとなっている。ワンネーション党は再度存亡の危機に直面していると言えよう。

第1次ハンソン現象とワンネーション党の誕生

そもそもハンソンの名前が初めて世間の耳目を集めたのは、20年以上も前のこと、すなわち、ハワード保守連合政権が誕生した1996年3月の選挙後のことであった。同選挙で連邦下院議員に初当選を果たしたハンソンは、同年9月に連邦下院議場で処女演説を行ったのだが、これが一大センセーションを巻き起こしたのである。というのも、同演説の中でハンソンは、「豪州は近い将来にアジア人に席捲される」と述べつつ、アジア系移民受け入れへの反対を唱えると共に、政府にたかっているとして、豪州先住民を強く批判したからであった。現職議員による連邦議会での過激発言は、当然のことながら大いに注目され、また批判の声を惹起(じゃっき)したが、国内有識者、更にはアジア諸国の一部メディアにより大きなショックを与えたのは、同演説に対して、「良くぞ言ってくれた」との声が国民の多数から上がったことであった。

ワンネーション党党首のポーリン・ハンソン
ワンネーション党党首のポーリン・ハンソン

予想以上の支援者の存在に気を良くしたハンソンは、反移民、反外国資本、反国際機関、反先住民、反銃器規制などを唱えつつ、97年4月に極右政党のワンネーション党を旗揚げしている。そして、翌98年6月のQLD州選挙で初陣を飾ったワンネーション党は、あらゆる事前の予測を大きく上回って、定数89の同州一院制議会で、一挙に11という大量議席を獲得し、そのため「ハンソン現象」なる言葉も生まれたのである。また同年10月の連邦選挙では、上院で1議席を確保しただけであったとは言え、同党は全国で百万票近い下院の第1次選好票を集め、キャンベラ政界を大いに震撼させている。

以上のような「(第1次)ハンソン現象」、ハンソン人気の背景には、経済のグローバル化がもたらした豪州経済・社会の変化に対する、一部国民、とりわけ保守層の多い地方在住層の恐れと反発があった。すなわち経済のボーダレス化は、必然的に国際競争力の強化を目指した国内マクロ/ミクロ経済改革を各国に迫り、豪州政府も80年代中期より、経済合理主義を標榜しつつ、さまざまな分野での改革を鋭意推進してきたのだが、この効率追求の経済改革は、少なくとも過渡期には失業、公共サービスの低下といった痛みを伴ったばかりか、社会構造の甚大な変化までをもたらしてきた。

しかも一部の低所得保守層、とりわけ地方在住層、第一次産業就業層は、改革の「コスト」を自分たちだけが不当に負担しているとの被害者意識、不公平感を抱いていたのである。こういった層は、キーティング労働党政権時代のいわゆる「ビッグ・ピクチャー志向」(注:共和制政体への移行やAPECの推進といった「大きな政治イシュー」への偏重ぶりを指す)や、多文化主義の強調と先住民への優遇策等により、一層不満を嵩(こう)じさせていたのだが、同政権下でやや行き過ぎた感のある「政治的妥当性・正当性」(Political Correctness)の風潮により怒りを発露する場を失い、不満はますます内向することとなった。

以上のような状況下で、言論の自由を強く標榜するハワード保守政権が誕生し、更にハンソンという人物が登場して不満層の反発や怒りを代弁したことから、抑圧されてきた「ガス」が一挙に噴出したのである。

確かに、当時の不満層とは、主として地方在住の低所得白人層であったことから、支持層の中に多文化主義や移民・エスニック問題、そして先住民問題などに関して、相当に保守的なメンタリティーを持つ人びとが多かったのは否定できない。ただ、ハンソン支持層を人種差別という観点からのみ捉えるのは明らかに誤りであったし、またハンソンが不満層を創り出したわけでは決してなかった。

では、それまでにも存在した極右団体や極右指導者が、あくまでマイノリティーに過ぎなかったのに対し、いかにハンソンだけが、あれほどの支持を集め得たのであろうか。おそらく理由としては、①ハンソンが女性であること、②フィッシュ&チップス店のオーナーという庶民であったこと、③それにもかかわらず、偶然とはいえ連邦議員にまでなったサクセス・ストーリーの持ち主であること、④ハンソンが連邦議会において、堂々と辛辣な主流政党批判を行ったこと、そして⑤暴力を唱導していたわけではないこと、などが挙げられる。

以上のような諸要因が、ハンソンにある種のカリスマ性を与えたことも否定できない。ただ、勢いに乗って翌年にワンネーション党を創設したハンソンも、早くも結党直後からさまざまな内紛に見舞われ、また幹部メンバーとの仲違いや、党員や党所属議員の大量離脱、度重なる民事訴訟、党内影響力や指導力の著しい低下などに直面していた。こういった「お家騒動」により、98年QLD州選挙でピークを迎え、21世紀の初頭までは一定の支持を集めていた同党も、その後は凋落の一途を辿ったのである。そして2002年1月になると、ハンソンは事実上の党首ポストであった連邦議長から辞任することを公表している。このハンソンの引退宣言で、96年にスタートした「第1次ハンソン現象」にも、ほぼ終止符が打たれたのである。

2016年両院解散選挙と第2次ハンソン現象

それから早くも10数年が経過し、一旦は終焉したかに見えた「ハンソン現象」と同様の現象が、それどころか、本家本元のハンソン自身が再度主役となって、同現象が復活したわけである。すなわち、16年7月の連邦選挙における、ワンネーション党の連邦政界復帰によって確認された、「第2次ハンソン現象」の発生である。

実は政界の表舞台からは消えていたハンソンも、16年選挙以前にもしばしばメディアに登場することはあった。それはハンソンが、「第1次ハンソン現象」の消滅後にも政界復帰への執念を持ち続け、連邦選挙ばかりか、各州の選挙にも出馬し、その度にメディアによって取り上げられてきたからであった。ただ、ハンソンは全て落選の憂き目に遭っている。ところが、それまで落選を繰り返してきたハンソン並びにワンネーション党が、一転して16年連邦選挙では、党首のハンソンはもちろんのこと、同党の地元のQLD州からハンソンの他にも1人、NSW州は1人、そしてWA州から1人と、一挙に合計4人もの上院議員を当選させたのである。

そのような結果となった背景には、まず16年選挙が歴史的にも稀な両院解散選挙であった、換言すれば、下院の解散と上院全数改選との同時選挙であったことが挙げられる。周知の通り、上院全数改選の場合は「当選基数」、すなわち当選ラインがほぼ半減することから、16年選挙では小政党や泡沫政党には有利となったのだ。

もう1つの理由としては、当時の世界的潮流、世相がワンネーション党に有利に働いたことが指摘できる。それは、米国大統領選挙をめぐる「トランプ旋風」、あるいは、EU離脱の是非を問う英国(連合王国)の国民投票運動でも観察されたもの、具体的には、社会的格差の拡大やグローバライゼーションの一層の進展に怒る有権者層、不満有権者層による、既成秩序や権威への挑戦の動きであった。こういった類の政府抗議票が、野党労働党にではなく、極右政党で「言いたい放題」のワンネーション党へと流れたものと考えられる。

同党党首として、90年代後半に大いに物議を醸したハンソンが、16年選挙で念願の政界復帰に成功した背景には、「第1次ハンソン現象」時代を彷彿とさせるような、国際環境や世相の存在もあったのである。いずれにせよ、前回選挙でのハンソンのまさかの復活は、予想以上に多くの現状不満層が存在したこと、そして16年選挙において多くの積極的抗議票が発生したことを強く示唆するものであった。

ただ前回選挙の直後から、ワンネーション党の行く末を不安視、疑問視する向きは多かった。何よりも、党首のハンソンを除く3人の上院議員が、そのまま同党に留まり続けるかについても、大いに疑問視されていたのである。ところが、それからしばらくの間のワンネーション党は、意外にも相当に安定し、行動ぶりもかなり成熟したものであった。その結果、保守政府法案の内容にも影響力を及ぼすなど、同党は一定の存在感を示してきたのである。

お家騒動の原因とワンネーション党の行方

ただし、ターンブル政府法案の行方や是非をめぐって、議会での存在感を示す一方で、早くも16年選挙の半年後には、かつてのワンネーション党を瓦解(がかい)させた現象が再度発生している。言うまでもなく、「内輪喧嘩」「お家騒動」の再発生である。

まず、16年7月の選挙でワンネーション党から初当選した、WA州選出のカールトンがハンソンと喧嘩別れしている(注:議員資格が無効とされ辞職を余儀なくされた。ただ辞職する前にワンネーション党を離党し同党は3人に)。次に二重国籍問題で、ハンソンと同じくQLD州選出のロバーツが議員を辞職している。ただ、ロバーツとハンソンとの関係は一貫して良好で、実はハンソンと問題を起こしたのはアニングという、ロバーツの後任として繰り上げ当選となった人物であった。アニングは、昨年の11月に正式に上院議員に就任したものの、上院議場での就任式の当日、しかも式の直前に、ワンネーション党からの離党を宣言するという、「爆弾行動」を採っている。

そして今年の5月になると、ターンブル政府の法人税減税政策への姿勢をめぐって、ハンソンと同党のバーストンが公然と対立し、バーストンも6月に離党している。結局、ワンネーション党議員はハンソンと、カールトンの後任のジョージオの2人だけとなり、その結果、議員が3人の時にワンネーション党がしばしば保持してきた、「バランス・オブ・パワー掌握政党」のステータスもご破算となったのである。

さてアニングもそうであったが、バーストンも同党の古参党員で、ハンソンとの付き合いも実に20年ほどの長きにわたっており、しかもつい最近までは、ハンソンの「忠臣」とみなされていた人物である。こういった人物が、立て続けにハンソンとけんか別れしているという事実に、ワンネーション党の抱える問題の深刻さが現れていると同時に、そこから「お家騒動」の原因も窺(うかが)えるといえよう。それは、何よりもハンソンの「独裁的な」姿勢にある。

ハンソンは、かつてはオールドフィールド、現在ではアッシュビーといった、自身の側近には何でも相談し、また側近の助言や指示にも従うものの、同僚議員たちには極めて高圧的である。この傾向は、16年選挙直後にはある程度払拭されたかに見えたが、最近の「お家騒動」は、政治家として成熟したとはいえ、実はハンソンが「第1次ハンソン現象」時代と本質的には変わっていないことを示すものである。

同僚政治家にハンソンが高圧的、独裁的であるのは、言うまでもなく、同僚たちがそれまで夢想だにしなかった連邦政治家の地位を手に入れたのも、ひとえにワンネーション党のおかげ、より正確にはリーダーである自分のおかげとの強い思いを、ハンソンが抱いているからに他ならない。従ってハンソンは、そういった自分に大恩ある同僚達が、自分の指示、命令に従うのは当然との思いを抱いているのだ。これは確かに事実で、そのことは過去及び現在のワンネーション党所属議員達の経歴、人となりを見れば、一目瞭然と言える。

しかしながら、ハンソンのおかげとはいえ、選挙を経て晴れて連邦議員となった以上、同僚議員にもプライドがあるし、また国政に対するそれなりの考えも芽生えてくる。そのため、ハンソンから引き続き「使用人」扱いをされ、一方的に命令されることには、同党議員たちにも強い抵抗があると言えよう。いずれにせよ、ワンネーション党の台頭の最大の理由、要因がハンソンであるのと同時に、過去にワンネーション党が瓦解した、あるいは今後瓦解するかもしれない要因も、同じくハンソンであると言える。ハンソンの姿勢が今後大きく変化するとは思えず、このままでは比較的近い将来に、同党が政界から再度姿を消す可能性もあろう。ただし同党は崩壊したとしても、ハンソンだけが政界に留まる可能性は否定できない。

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る