【今さら聞けない経済学】経済学者とはどんなことを考えるのか

今さら聞けない経済学

日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第59回:経済学者とはどんなことを考えるのか

はじめに――日本の社会では人的資源の劣化が始まったのか

かつて、日本経済は世界の多くの人びとから羨望の眼差しで見られていました。日本は「日出ずる国」とか、「燦然(さんぜん)と輝く国」と言われていたのです。例えば、1960年代から80年代にかけて、日本からアメリカへ留学に行くと、「おやおや世界の冠たる国・日本からなぜ、斜陽の国・アメリカに勉強に来たのか」とも言われたことがあります。それほど、日本という国は世界から一心に羨望の念を持って迎えられていたのでした。

しかし、今では日本という国は、世界の先進国のグループである経済協力開発機構(OECD)の中でも中以下の立場でしかありません。なぜ日本は「普通の国」になってしまったのか。また、このような日本経済を再浮上させるにはどのようにしたら良いのでしょうか。そして、その手段は果たしてあるのでしょうか。恐らく、たくさんの人びとがこのような気持ちを抱いているのではないでしょうか。

日本経済をこのような状態に陥れたのは、1971年8月15日に巻き起こった「ニクソン・ショック」です。言わば「外敵」により、一気に「円高=ドル安」が起こりました。しかし、原因はそれだけではなさそうです。恐らく「人的劣化」という目に見えない現象がひたひたと押し寄せているとも考えられます。

私は自室のテレビで日本の国会中継をよく見ます。そこでの議論は、少々言い過ぎかもしれませんが、まさに幼稚そのものです。日本の行く末に関わる重大な議論を行う、日本を代表する国会の人びとの間でも、人的な劣化が始まっていると思われます。その典型的な例が、国が計画している仕事を国会議員として担当し、その仕事の計画を業者に教えて金品を手に入れるという、あってはならないことをする人がいたり、公金をどーっと使って自分を支持する人びとに「華」の東京で豪華なおもてなしをするというようなことが平然と行われているのです。本当に嘆かわしいことです。

かつては学問を追求するため、あるいは新しい何かを求めて、世界で最も進んでいるアメリカの大学・大学院へ年間、4万人ほどの若人が留学を志したものですが、今ではそのような若者はかつての3分の1以下でしかありません。つまり、言葉は過激かもしれませんが、日本では人的な劣化が蔓延し出したのかもしれません。私は長年、大学という研究と教育を施す現場に身を落としてきましたが、かつてのように学問を積んで社会に貢献したいという大志を抱く若者が減ってしまった、とも感じます。

ノーベル経済学賞に一番近かった経済学者――森嶋通夫教授

また、かつてのようにたくさんの場面で経済学者が華々しく活躍しない現在、「なぜ、日本の経済学者(研究者)はノーベル経済学賞をもらえないのか?」と尋ねられることが多々あります。確かに、毎年秋も深まったころになると、新聞やテレビでノーベル賞受賞者が華々しく報道される度に、今年こそは日本人経済学者の誰かがノーベル経済学賞を受賞するのではないのかと、ひそかな希望を抱いてマスコミの報道を待っているのです。そして、そのような報道が全くないと、今年もだめかとため息をついているようなあんばいです。

でも今の日本の経済状態では、日本からノーベル経済学賞受賞者が出るとはとても思えないかもしれません。と言って、日本の経済学者が全くそれに値しないかと言えば、決してそんなことはありません。そこで今回は、これまで世界の経済学会で活躍された経済学者を見てみましょう。別に「基準」があるわけではありません。まずそのことを記しておく必要があろうかと思われます。

私が1970年代の初めごろに、大学院博士課程で学んでいた時、盛んに耳にした経済学者に「森嶋通夫」と言われる、それはそれは「偉い経済学者」がいらっしゃいました。日本の経済学者の中で最もノーベル経済学賞に近い学者と人びとの間で周知されていました。私にはかつてこんな経験があります。ご縁があって、森嶋通夫氏が晩年、私が務めている大学で約半年間客員教授として滞在されたことがあります。その時、経済学部の有志の教員が森嶋先生ご夫妻を招いて歓迎会を催しました。私も一員として出席しました。

そこでの会話はとても「高尚」なもので、私ごときではとても理解できるような内容ではありませんでした。会も終盤に入り、長老の教授が「せっかくの機会だから若い人も何か森嶋先生にお尋ねしてみたら」とおっしゃったのです。そこで私の番が回ってきた時、思い切って「先生は、いつノーベル賞をおもらいになるのでしょうか?」と質問したのです。すると、それまで饒舌だった森嶋先生は急に無口になり、「そのようなことはありません」と一言ぴしっとおっしゃたのです。私は場違いな質問をしてしまい、それこそ「穴があったら入りたい」気持ちに陥りました。

でも、その会が終わっても、会を取り仕切った長老の先生方から、あのような質問をするのではないよ、というお叱りは受けませんでした。つまりそこにいた全ての人が、いつかはノーベル賞をという思いでいっぱいだったのです。いいえ、私どもだけでなく、日本中の経済学関係者は皆さん思いを一つにしていたと思います。事実、ノーベル賞授与は確実だと思われていた証拠に、森嶋先生は1976年に文化勲章を日本の政府から授与されています。そのように世界的に偉大な森嶋先生は2004年に没しました。

森嶋先生を「世界の森嶋」にしたのは、近代経済学とマルクス経済学を結び付けたという功績でした。近代経済学とは、この場合、新古典派経済学のことを意味します。

ここで新古典派とは何かについて考えてみましょう。経済学はアダム・スミスによって考え出されました。スミスは、経済学とは人びとを幸福にする学問だと主張しました。これは古典経済学の主な考えです。そこでスミスの後を継いだ経済学者たちは、経済学にとって必要なことは、作り出された財がちゃんと人びとの間で取引きされないといけないと考えるようになったのです。そのためには生産された財に「値段=価格」が付けれらないといけないと考えるようになりました。さて、その価格は、一体誰がどのようにして、決めたら良いのでしょうか。それを決めるのは、財を生産する側と、その財を購入する側との「取引」だという考えに達しました。生産する側と購入する側が出会う場所が、「市場」です。その市場で財を求める人=需要、と財を売りたい人=供給、の2つが向き合ってその財の価格を決めなければならないという考えを確立したのが、経済学の大きな進歩でした。後世の経済学を研究する人びとによって、「新古典派」という名前がそのような考えに付けられました。価格というものは市場で需要と供給によって決定され、それによって社会は均衡が保たれるのですが、社会にはそこからはみ出たさまざまなものが存在するのです。例えば、「失業」といった大きな社会問題です。これを解決するためには、政府の役割がとても重要になってきます。政府の役割の重要性を説くのがマルクス理論だとも言えるのです。

そこで、純粋取引きの中に政府の役割をはめようとしたのが森嶋理論だ、とも考えられます。つまり、近代経済学とマルクス理論とを融合した画期的な理論だったとも考えられます。当然、私ごとき経済学の「へなちょこ研究者」ではこのような理論など分かる道理はありません。すべて「耳学問」でしかありません。けれど、偉大なる森嶋先生のお姿を間近に拝見したということは大きな喜びでもありました。森嶋先生の崇高な経済の理論的展開は、とても私では理解できませんけれど、先生は高度な専門的理論展開の他に膨大な「啓蒙書」を世に送り出したのです。私は、それらの書物によって「森嶋節」に触れることができました。森嶋節の最たるものは、世界のどのような高名な理論家と言えど、それらの理論と真っ向から対峙するのです。

森嶋理論による予言

森嶋先生は、京都大学を1946年に卒業され、その後、大阪大学で教鞭を取っていらっしゃいました。しかし、森嶋先生は、日本の学会という狭い世界を問題とせず、世界の学会に論戦を挑むという形を取られたです。大学を卒業して20年後には、世界の理論経済学会であるエコノミック・ソサエティーの会長に就任され、当時、ケインズ経済学の後継者と言われていたイギリスのジョン・ヒックス教授の知遇を受けるという栄誉に輝きました。そこで森嶋教授は思い切って、日本からイギリスの大学へ転出することになったのです。68年にイギリスのエセックス大学へ渡られ、70年にはイギリスの名門、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の教授に就任されたのです。そして82年には、知遇を得ていたヒックスの名前が付けられた教授に、LSEで就任されました。

森嶋先生はとても厳しい先生でさまざまな経済学会に出席され、討論になるといきなり、例えば「その曲線はなぜ右下がりになるのか理論的に証明してください」と、所構わず討論者に質問を浴びせるとのことでした。従って、森嶋先生はとても世の研究者からは恐れられていたそうです。ただ、私どもがお会いしたときの森嶋先生は、それこそ「温厚」そのものでした。

森嶋先生は、まだご健在であったころ盛んに「日本没落論」を唱えられていました。そして多くの人びとに大きな刺激を与えたのです。先生は最後の本の中で、日本は「没落する」と予言し、警告を発していました。森嶋先生は主張していました、国を作るのは人間だ、と。森嶋先生は長く近代経済学とマルクス経済学を学んだ見地から、国を構築するのは土台である人間だ、と唱えました。「経済は人間という土台の上に建てられた上部構造に過ぎない」という主張を首尾一貫主張されたのです。「将来の社会を予測する場合、まず土台の人間が予想時点までの間にどのように量的、質的に変化するかを考え、予想時点での人口を土台としてどのような上部構造─私の考えでは経済も上部構造の一つである─が構築できるかを考えるべきである」(『なぜ日本は没落するか』岩波書店刊)というのが森嶋理論の中心命題でした。


岡地勝二
関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了後退学。フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰

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