
オーストラリアの新聞を始め、テレビ、ラジオ、オンライン・メディア、映画、書籍などで今話題のもの、または面白い記事やエピソードを取り上げ、そこから見えるオーストラリア社会を在豪日本人の視点で紹介する。
第36回:性暴力被害者の声が社会を変える
「#MeToo」というハッシュタグが使われるようになって1年近くが経つ。その間に、これまで聞くことのなかった性暴力被害者の声が聞こえてくるようになった。
その声が集まって生まれた#MeToo運動には、読者の中にもさまざまな反応があるだろう。自分の体験を思い出して胸をえぐられる思いの人、強く共感する人、感情的になりがちな運動に多少のずれ感を覚える人、運動をさげすみ反発する人。
私自身、被害者たちが語る衝撃的な内容や社会からの共感や批判を、初めはどう捉えて良いのかさえ分からなかった。これまで語られなかったことを消化するのに時間が掛かったのだと思う。
運動の盛り上がりと批判
世界的な運動の始まりはハリウッドにおけるセクハラ告発だった。日本ではジャーナリストの伊藤詩織氏が実名でレイプ被害を告発した。メディアの記者など、書くプラットフォームを持つ女性たちも次々と自らの性暴力体験を記事にした。
社会では共感の声が湧き上がり、1年近く経った今でもその流れは続いている。
一方で、いき過ぎた運動には批判の声も上がった。
女性蔑視の独裁国家を批判的に描いた人気ドラマ『侍女の物語(The Handmaid’s Tale)』の原作者マーガレット・アトウッド氏でさえ、過剰な運動に懸念を示す論説をカナダの新聞に寄稿した。
また、性暴力を告発する流れの中でセクハラ疑惑を掛けられた俳優のジェフリー・ラッシュ氏が、名誉毀損(きそん)で新聞社を訴えるという話もあった。
独特な反発が見られたのは日本だ。
レイプを告発した伊藤氏には早い段階から誹謗中傷を含む批判が浴びせられていたが、英BBCのドキュメンタリー『日本の秘められた恥(Japan’s Secret Shame)』はそれを如実に示した。
伊藤氏を追ったこの番組の中で自民党の杉田水脈衆院議員は、伊藤氏には「女として落ち度があった」と批判。女性議員でさえこのような批判をするところに、日本での反発がどのくらい根深いものかがうかがえた。
世界で共感を呼んだ豪『ナネット』

#MeToo運動が議論を呼ぶ中、国内外で絶賛されたオーストラリアのショーがある。その録画映像が今年6月にネットフリックスで公開されて以来話題の『ナネット(Nanette)』だ。
オーストラリアのコメディアン、ハナ・ギャズビー氏によるスタンダップ・コメディーだが、実のところこの作品は普通のコメディーではない。
同性愛者であるギャズビー氏のショーは、LGBTをネタにした皮肉っぽいユーモアから始まる。しかし、次第にそれは衝撃的な告白へとつながっていく。LGBT差別のこと、自虐的なネタがいかに自分の精神を痛めつけてきたかということ、そして過去に受けた性暴力の告白。
コメディーという形の中で語られる告白には、それだからこそ伝わる強烈なインパクトがあった。
後に時事番組『ザ・プロジェクト』(2018年7月17日放送)に出演したギャズビー氏は次のようにも語っている。
「女性たちはもう疲れてしまいました。どうして私(女性)たちがいつも(被害に遭わないよう)気を付けていなければならないのかと」
自らのレイプ被害を記事にしたガーディアン紙(同年7月5日)のエイミー・レメイキス記者も似たような点を指摘している。
「(なぜいつも被害者の落ち度が問われるのかということについて)友人は言いました。彼ら(加害者)は人間ではなくて獣だから。『そんな獣にどうやって説明できる?』と。でもその人が言うことは間違っています。彼らは人間なのです」
#MeTooが変えた意識
毎日満員電車に揺られて通学・通勤する日本の都市圏で、痴漢に遭ったことがない女性はほとんどいないだろう。
私は中学校から大学までの10年間、東京の満員電車で通学した。通学はとにかく痴漢との攻防だった。子どもながらに戦う術を習得していたと思う。
できるだけ男性を避け、混んだ電車では女性のそばに立つ。鞄は下半身付近に持ち、他人と接するのを防ぐ。常に周囲に注意を払い、怪しいと思われる人は睨みつけて警戒する。
子どもが性暴力から身を守るためにここまでする社会はおかしくないだろうか。
痴漢はいて当たり前。男性は狼だから女性が気を付けなければならない。短いスカートを履いている女性が悪い。
それらは全て間違っている。「落ち度」があった被害者が悪いのではない。身を守ることを知らない幼い子どもが悪いわけがない。悪いのは加害者なのだ。
そう意識するようになったのは、被害者の声を聞いてからだ。#MeTooを通して自分自身の、そして多くの人びとの意識が変わってきたように感じる。
性暴力の被害者がこれほどたくさんいるとは思わなかった。被害者がこれほど深く傷ついているとは思わなかった。また、トラウマをこれほど長く引きずっているとは思わなかった。
運動に対しては批判を含めさまざまな見方がある。しかし1つ確かなことは、#MeToo運動が被害者の声を通じて人びとの問題意識を高めたということ。
それはとても大きな1歩だったのではないだろうか。

クレイトン川崎舎裕子
Hiroko Kawasakiya Clayton
米系通信社の東京特派員(経済・日銀担当記者)を経て、2001年よりオーストラリア在住。クイーンズランド大学院にてジャーナリズム修士号を取得後、03年からライター。キャンベラを拠点に社会事情などについての記事を雑誌や新聞に執筆する
Web: twitter.com/HirokoKClayton